<244戦隊機の塗装とマーキングについて>
(1) 日の丸の赤; 濃緑色迷彩時の日の丸の赤が初期のものよりずっと暗いとよく言われていますが,種々の写真やムービー(多くは終戦時か終戦近くで連合軍が撮影した物)を調べる限り依然として明るい赤である事が判ります。色調は物によって違いますが、FS1350からFS2190の間の色です。
(2) 濃緑色; 放置された飛燕の良いカラー写真がチェコの雑誌Revi (#27, 1999年)に載っています。その濃緑色はFS4058に茶色味がほんの少し入った色で,モデルアート#428にあるオリーブグリーンとは全く違う色です。五式戦闘機に使われた濃緑色も,(メーカーが同じなので)多分同じと思われます。
(3) 胴体帯の色; 各中隊/小隊(本部小隊)は各々の決まった色を持っていましたが、244戦隊協会の櫻井氏の研究によりますと小林隊長時代には全く守られていませんでした。これは多分戦闘による損失をカバーするために機体を別の中隊に配置換えする事が多く,整備員にとってもなるべく多くの機体を飛ばすのが任務でマーキングの規則を守るのは労力がかかりすぎたからだろうと思われます。 むしろ胴体帯の色は主脚カバーの機番とともに機体を識別するために使われたのではないでしょうか。空気取り入れ口を通る胴体帯をつける時は,取り入れ口を接着する前に帯をつけてください。
(4) その他の色; 
* 飛燕と五式戦闘機のコックピット内部と主脚収納部は独特のカーキイエロー(FS3440に近い)であったと言われています。
*プロペラとスピナーは日本機特有の赤褐色です。この色はFS4432に近い色です。
*飛燕と五式戦闘機の防眩塗装は光沢のない黒です。
*主翼前縁の味方識別帯は最初赤でしたが,1942年8月21日の命令により黄色に変更されました。
* 増架タンクの色はよく黄色とか黄緑とか言われていますが,244戦隊関係者の多くは灰色と主張しています。そしてこの様な色のタンクの例は今でも残っています。
* フラップ上の"フムナ"の注意書きはこのデカールには入れていません。戦闘部隊の飛燕の写真では殆ど見られないからです。五式戦闘機では赤のものが書かれていたかもしれません。
(5) 戦隊エンブレム; 戦隊の新しいそして有名なエンブレムは、1943年夏頃に戦隊が97式戦闘機から飛燕に機種変えを行った時に導入されました。基本的には全て赤ですが,4と星が青,黄色,または白のバリエーションがありました。エンブレムを中隊色で描くとか戦隊長の特別のマーキングがあったと言われていますが、そのような事はありませんでした。(桜井氏談)
(6) 尾翼の赤色; もともと尾翼の赤塗装は震天制空隊のシンボルでしたが,小林隊長は帝都防空時代に彼の決意を示すとともに数の少ない(4機)本部小隊の戦意を高揚するために本部小隊の機体の尾翼も赤に塗りました。
(7) プロペラと主脚カバー (イラスト中の?で示すプロペラは警戒帯を確認出来なかったもの、機番の無い脚カバーは機番の確認が出来なかったものを示します。)
(8)マーキングの詳細
   機体#1−5、7と8に描かれたダークグリーンスポット。白帯は機体#5,6,8に描かれました。機体#4では白帯は主翼下面のみに描かれました。
   機体#4が本部小隊に移ってからの尾翼赤塗装
謝辞 244戦隊の戦闘機について情報を頂きました桜井 隆様に感謝いたします。
   鈴木伍長の写真をご提供下さいました鈴木四郎様に感謝いたします
英語キャプションのチェックをして頂きましたテリー ヒギンズ氏に感謝いたします。

<ギャラガー氏の撮影したクローバーを描いたと言われる飛燕について>
この機体はモデルアート,Ospreyの本やハセガワのキットなどでよく知られています。元になった写真(最近彼の著書"With the Fifth Army Air Force" (ジョンホプキンス大学出版,2001年)にも載っています)は,彼が調布飛行場を訪れた1945年9月に撮影されました。彼が最初の本"Meatballs and Dead Birds"を出版した時,三つ葉のクローバーと12機のキルマークをつけたこの機のイラストと幾つかのコメントを載せました。キルマークの多さから,本機は市川大尉機とよく言われています。しかしこれは彼の機体ではありません(以下参照)。我々はこのマーキングがもともと244戦隊員によって描かれた物ではなく,戦後進駐した米兵によって描かれたものと信じています。その理由は以下の通りです。
* 戦隊の記録によりますと,市川大尉は飛燕1型丙を1945年4月15日まで使っていました。この日の夜彼はB−29の編隊を攻撃し,2機撃墜1機を撃破し更に1機を体当たりで撃墜しました。負傷した彼は乗機をあきらめパラシュートで脱出しました。入院治療後戦隊に戻った彼は五式戦闘機に搭乗しましたが,それにはキルマークは描いていません。従って彼の乗ったという飛燕1型丁はありません。
* これらのキルマークの位置とスタイルは244戦隊の通例からして異常です。キルマークは通常パイロットや整備員が描き易いようにコックピットの下に描かれています。この機体では機首にあり,そこに描くためには脚立を用意しなければなりませんが,当時忙しい整備員がそのような事をわざわざするとは思えません。ギャラガー氏はこの写真を機首の少し上方から取っていますが、このことは他の機体の主翼(またはその他の構造物)が近くにあって足場になったことを示します。同じ足場を使えば他の者も機首にキルマークを容易に描けます。  更にB−29のマークは上向きに描いてありますが、これも異常です。戦隊員によって描かれたキルマークは撃墜(shot down)を示すため全て下方を向いて描かれました。各中隊/小隊のキルマークの典型的な形については、244戦隊ホームページを参照してください。
* 三つ葉のクローバーはキリスト教と関係するもの(描いた人はアメリカ系アイルランド人?)で仏教とは全く関係無く当時の日本人によって描かれたとはとても考えられません。元の写真を見ると,このマークはクローバーではなくむしろ白の嘴を持った黄色の鳥のように思えます。(本当に三つ葉のクローバーであったかどうかはかなり疑わしいですが,はっきりした写真が無いので何とも言えません。)

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